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ボーイスカウト岡崎地区紹介


岡崎におけるボーイスカウト運動のはじまり

岡崎のボーイスカウト運動は日本のボーイスカウト運動が始まるのとほとんど同時にスタートしました。
大正の終わり、美合村(現岡崎市美合町)の元種畜場横にあった広場で少年団日本連盟の主催で第3回全国大会合同野営が行われました。
詳細な記録は既に残っておりませんが、当時、日本では珍しいキャンプ用テントが美合野に並び立ち、多くの観衆が集まったようです。
保守的なイメージある城下町岡崎市が文化的にはかなり進歩的であったことが伺われます。
その後、正式にボーイスカウト隊(当時は少年団または健児団)が岡崎に誕生したのは昭和11年以降のことです。
新進気鋭の青年僧侶2人が相次いで、保母町に大谷美保健児団、能見町に大谷甲山健児団を設立しました。
残念ながら、これらは間もなく勃発した太平洋戦争によって解散を余儀なくされましたが、両氏のスカウト運動への情熱は並々ならぬものがあったことが容易に想像できます。

終戦後の昭和22年、愛知県内においてボーイスカウト再建が叫ばれ、新隊設立の気運が高まる中、県下第1回の公認指導者講習会が富士松村(現刈谷市富士松町)で開催されました。
翌23年には新しく指導者資格を得た数名のリーダーによって岡崎第1隊(保母町)、岡崎第2隊(能見町)、額田第1隊(現岡崎市奥殿町)が設立、公認されました。
続いて、その年の3月、能見町不動山で行われた公認講習会に参加したリーダーにより、岡崎3隊(柱町)が設立されました。
昭和26年以降、岡崎市後援の講習会(美合町)に参加したリーダーによって続々と新隊が設立され昭和31年には11個隊を数えるに至りました。
この間、隊長副長間で「ふくろう会」を結成し毎月研鑽を重ねてきましたが、岡崎市教育委員会の格別な援助により「日本ボーイスカウト岡崎地区協議会」が結成されその実績を上げるに至りました。

「岡崎ボーイスカウトの歩み」(昭和31年9月発行)より抜粋要約

岡崎地区とは

ボーイスカウト日本連盟は47都道府県に各々県連盟があり、さらに愛知連盟では県下を23の地区に分割。
その1つが岡崎地区で岡崎市と額田郡幸田町から構成されています。

岡崎地区の沿革

昭和28年、愛知連盟は尾張地区と三河地区の2地区制を敷く。
昭和38年、三河地区は岡崎地区と刈谷地区に分割。
昭和45年、岡崎地区から三河西地区と東三河地区を分封。
現在に至る。

岡崎地区の登録状況

2008年3月6日現在

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情報:事務局